20代前半の私は絵に描いたような「貧乏ミュージシャン」でした。

私の、「仕事」にまつわるストーリーは、18年前のある日の
こんなやりとりから回想されます。

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「本当に心の底からどうしてもやりたくて
かつ世の中のためになることであれば
神様はいくらでもその願いを叶えてくれるんだよ!?」

あまりにまっすぐな子供であった私は、目を輝かせて同級生や
周りの大人に自分の心に燃えるように宿っていた信念を伝えました。

「馬鹿げてる。現実はそんな都合よくいかないものだよ。」

「仕事というのは生活のためにやりたくないことをがんばってお金を稼ぐことなんだよ。」

みんな呆れながら、なだめすかせようとするのでした。
しかし、TVや周りの大人の言い分、様子を見ていると、どうにも疑問だらけ。

せっかくひとつずつの命を与えられて生まれて来たというのに
何故、みんなそんな使い古された思い込みを信じて、実現して、我慢と妥協の生活をしているの?
もっと人生の可能性は無限であるはずだ!
誰にバカにされようと、その「信念」が揺らぐことはありませんでした。

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それから数年が経ち、「歌手と女優になる!」と進路希望の用紙に記入し続けた私は
親友のひとことがきっかけで17歳から本格的に歌手を目指すこととなりました。

21歳の時、直感に従い、何のつてもないのに勢いで上京。
翌年にはゼクシィのCMソングを歌唱するシンガーとして選ばれ
たまに歌手としてのお仕事をいただくことはあったけれど、
とても生活費をまかなえるほどではありませんでした。

月に何回かのライブをし、オリジナルCDを手焼きで制作。
その合間に生活費を稼ぐためのアルバイトをする。
節約の毎日。食事は10円でも安いメニューを、洋服は3000円以内で買えるものを選ぶ。
毎月の家賃も払えるかどうか、という生活の中
「いつ諦めて名古屋に帰ってくるんだ?」
と、せっついてくる実家の父をやり過ごしながら、華々しくメジャーデビューできるような
チャンスもたびたび逃し続けて、私は25歳になっていました。

挫折に挫折を繰り返し所属事務所を辞めた時、
母がきっぱりと確信を得た様子で言いました。

「半年でも1年でもいいから、一般企業に就職して働きなさい。」


それまでの私にとっては、「OL」「会社員」という言葉は一生無縁だとずっと思い込んでいました。
しかし、職業歌手としてのスキルとプロ意識だけはしっかり身についていたものの、
ミュージシャンという職業を目指しながら、「ミュージシャンとして生活する」という
言葉にすればあまりにシンプルな夢を、正直なところ、「リアルな生活」として描けないままでいたのです。

つまり、「夢のまま」だったのです。

「いつか」と思っていると 
「いつか」実現し続けるために 
「いつか」が永久に続くのだ

ということがまだわかっていなかったのでした。
そんな八方塞がりな私に母のアドバイスは、電流に触れたように腑に落ちました。

そわそわしながら、慣れないスーツを着て、めいっぱい緊張しながら、
私はとある企業の派遣OLを初体験することとなったのです。

様々なアルバイトは経験してきましたが、25歳にもなって会社員として必要なスキルはゼロ。
会仕の組みも、基本的なメールの書き方、ましてやExcelの使い方なんて全く知りません!

そんな、一般常識にすら自信のない私が唯一、自信を持てたのは

「明るさ」、 「元気さ」、 「素直さ」 だけです。でも、自分の武器を最大限に使って
みんなに元気に働いてもらえるような、フロアの華になろう!と決意したのでした。

わからないことだらけで、失敗も多く、週末のライブ活動などで疲れきって居眠りも多々(笑)
それでも毎日、誰ともめいっぱいの笑顔と明るさで接し、フロアの社員さんやトイレそうじの
おばちゃんとも仲良くなり、元気いっぱいの電話受付は次第に社内や社外の営業さんたちに
「今日もしほりさんの声を聞けて、元気が出るなぁ!」と喜ばれるようになりました。

電話受付や事務対応係として明るく元気にいることで、
関わる営業さんたちの士気が少しでも上がって、結果、会社の業績があがるはず!
と考えて、小さくても最高の「一歯車」になろうというのが、毎日の目標でした。

今まで毛嫌ってきたはずの「社会の歯車」という言葉の素晴らしさを初めて知りました。
小さな歯車同士がかみあいながら、会社や社会が動いている。
社会との繋がりが、こんなにも魂を喜ばせるものだとは知らなかったのです。

そして、初めてのお給料がもらえたときには、たいそう驚きました!一般的なOLのお給料でしたが、
当時の私には今まで考えられなかったほどの大金で、衝撃とともに感動してしまいました。

このままOLをしながらであれば、経済的にも精神的に安心しながら音楽ができる・・・
そんな考えがよぎるようになりました。



会社員として働き始めて半年した頃、
この会社さんで学ぶ必要のあったことは学べた、と直感が告げました。

OLを続けながら安心して音楽活動をするのか・
・・いや、そんな覚悟で音楽で成功することなんてできない。
揺れながらも、私は少しずつ「覚悟」を決めていきました。

その頃には社内でもだいぶ可愛がっていただき、いつ辞めることを切り出そうか・・・
と様子をうかがっていたところ、究極社内で大規模なリストラが決定し、
派遣社員が全員解雇されることになったのです。

上司が私を呼び出し、申し訳なさそうにその事実を告げられた時、
私は嬉々としてお世話になった感謝を述べました。
自分から言う必要もなく、タイミングが事を運んでくれました。

ところが、うきうきと残りのOLタイムを満喫し始めた矢先
また上司に呼び出されました。
ばつが悪そうに上司は話し始めます。

「実は、会社からの要望で、しほりさんには残ってこれからも働いて欲しい、
と言われたんだ。お願いできないかな。」

なんと!ありがたいお言葉です!

Excelひとつすらできなかった私でも、自分の持ち味を活かしてがんばれば
人の役に立ちながら、お金をいただくことができるのだ!
と、驚くべき感動に内心打ち震えていました。

神様は本当に大きな決意をする時ほど、「試し」をしてくるものです。

少しの間、感謝と戸惑いの気持ちで激しく心が揺れましたが、
私は上司に向き直って、きっぱりとこうお伝えしました。

「私、これから音楽家として生きていくことに決めたんです。
ですから、大変嬉しくてありがたいお言葉なのですが
辞めさせていただこうと思います。
今までお世話になり本当にありがとうございました!」

・・・それは、ほかでもない「私自身」への宣言でもありました。

覚悟が決まったのです。

OLのお仕事を通じて、社会と関わること、それでいただいたお金で生活していくこと。

とてもシンプルな世の中の仕組みなのですが、そこに、人として
「働き、社会と関わり生活する喜び」を発見することができました。

そして・・・

同じことを、「音楽活動で」やればいいのだ!

と悟った瞬間、「ミュージシャンとして生活する」という夢が初めて
「リアルなこと」に感じられたのでした。

 

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会社を辞めた次の日から私は、ずっと音楽だけで生計を立てています。

初めは「歌手」としてのみだったのが
アーティストとしてもCDを出していただいたり
次第に他のアーティストさんへの楽曲採用も増えていきました。

今も「音楽家」として働く毎日です。

歌手であったり、作家であったり・・・ジャンルも実に多岐に渡る音楽活動ではありますが
どんなお仕事も、基本は

「いただいたお金以上の価値のある仕事をすること」。

その奉仕は、未来への投資でもあります。

そうすれば不思議とお金はついてくるものなのです。もっとも、すぐにではないかもしれませんが。
叶えたい志のために、あるいはプロジェクトのために、あるいは身近な人のために、
エネルギーを惜しみなく投資するのです。

与えることを惜しまないことで、逆に予想外の形で成果やお金は帰ってきます。
働くとはいただくことであり、与えることであり、それによって生かされることです。

そして、不思議なことに
以前は「自分には音楽しかない」から音楽を志すのだ、と思っていたのですが

最近は、もしたとえ音楽の仕事ができなくなったとしても、
ほかのどんな仕事であってもお金を稼ぐことはできる、という漠然とした、
けれど確かな自信があります。

その中であえて音楽を選び続けながら、世の中が回るうち、ごくひとつぶの
最高の「歯車」であろうと思うのです。